「なのはちゃん、気持ちを伝えたかったら、もっとがんばらんとあかんよ」 はやては笑ってなのはを見つめたまま言った。なのははその言葉に素直に頷く。そのた めにアースラまで来て今日も玉砕したのだから、次こそはなんとかしたい。それは普通 の考えだろう。 「目標は恋愛に関しては鈍いんよ。その分、なのはちゃんが押していかんと」 恋愛話をするときのはやては頼りになると感じながら、なのはははやての応援に嬉しく なった。フェイトには相談していいか悩んでいたからだ。 クロノと仲の良さは義理と言えども、純粋に兄妹だからだというのは分かっている。 ただ気持ちがついていかないのだ。フェイトは、なのはが何度も何度も頑張って、なし 得なかったことをあっさり意識せずにこなしてしまうのだから。 「フェイトちゃんも綺麗やけど、クロノ君はなのはちゃんに振り向くよって。そやから、 なのはちゃん。クロノ君が一人で居るときを狙って話しかけるといいわ」 はやての忠告自体は聞けば最も過ぎるほどに最もなのだが、よくよく考えてみると誰 かと居るときにしか、クロノに声をかけたことがなかった。 廊下で偶然姿を見つけ、声をかけようとした瞬間に誰かに声をかけられて、クロノは 呼び出されどこかへ行ってしまったし、任務で会うときなどちょっとした話もできるか なと期待してみても、執務官であるクロノには多くの通信や連絡が入る。そのたびにな のはは、クロノの忙しさを目の当たりにしたような気持ちを味わっていた。 「お、おつかれさまでしたっ」 「ああ、ではまたな」 折角同じ任務に参加しても、こんな会話が関の山で、先に続かない。休憩に誘えたこ とすらない。 伝えたいことは、彼にだけは満足に伝えられない。言いたいことは飲み込んでばかり だ。何パターンものシミュレーションを重ねても、考えていた言葉は彼の前に立った瞬 間に、指の隙間からこぼれ落ちていく。なのはには、それがとても悲しかった。 あれから数日が経ち、ちょっとした暇ができて、なのはは本局にいるというクロノを訪 ねていた。今回こそシミュレーションは完璧で、何をどう言うか、それも決まっている。 けれど、そのシミュレーション通りに物事は進まない。なぜならば最初の一歩、ドアに ノックをするだけのはずが、それができないからだ。 なのはがクロノの執務官室の前に立ち、既に何分か経っていた。片手で数えられない ほどの回数、深呼吸をし、手を握る。そして、腕を持ち上げ、そのままドアを叩く動作 をする。けれど音は鳴らない。たった1センチほどの間を空けて、手が止まってしまっ ていた。何度繰り返せば気が済むのだろうと、なのははため息をつく。今度こそはと、 精一杯息を吸い込んで、大きく息を吐き、潔くドアをノックした。 「誰だ?」 想像していたよりも低い声音が部屋の内側から聞こえて、なのはは硬直する。逃げよ うとする足を必死に止めるが、直ぐに何かを言わなければならないと気づいた。このま ま逃げてしまったのではいつもと一緒だ。しどろもどろになりながらも裏返った声で、 必死に名乗りをあげた。 「あ、その! な、なのはです!」 これを言えただけでも及第点だとはやてには言われるかもしれないとなのはは思う。 何度となく、ノックだけして名乗る前に逃げていたのだから。それをはやてに打ち明け た時は、爆笑された。なのはちゃん、それはピンポンダッシュっていうんやで、と。 「どうした、なのは」 ドアに近づいてくる足音と声に、逃げ出そうとする足を堪えて、なのははドアの前で 待った。一秒が何分にも何十分にも感じられる。軽い音とともにドアが開いた時には、 口から心臓がでたかもしれないとなのはは思う程に緊張した。 クロノがなのはを部屋に迎え入れる仕草で、 「何か用事か?」 と問われ、なのはは頷いてみせた。任務の時と比べ剣のない声音で、なのはは再度ため 息をついた。鼓動が早すぎて、心臓が痛かった。だからこそ視線は上げられず、クロノ の方を向くことはできない。 なのはのシミュレーションの中では、この時点で既にクロノの目を見つめて、笑顔を 浮かべている予定だったのだが。現実はそんな簡単には進まない。 「んと、その。く、クロノくん、今、暇…かな」 尋ねてから即座になのはは後悔した。現在時刻はまだ就業時間内だ。 「いや、今は仕事中だが…」 真面目なクロノらしい回答に、なのはは肩を落とした。予想できたはずなのに、なぜ暇 かどうかなどと聞いてしまうなんて。何かしら用事を考えてくるはずだったのだ。 「そ、そうだよね。えと、あう」 なのはは後ずさりして息を飲み込み、恥ずかしさに熱くなる頬を感じてなのはは思い切 り手を振る。 「な、なんでもない! 本当になんでもないの! またね!」 踵を返して、そのままなのはは走り出した。はやてに会いに行って、また相談に乗っ てもらおうと思った。はやてならきっと、話を聞いてくれると思えた。 廊下を歩いていたはやてを無理やり連れ込んだ喫茶店で、なのはは紅茶の入ったカッ プを眺めていた。向かいに座るはやては、とても居心地が悪いらしい。 「な、なのはちゃん、私な、仕事中やで?」 苦笑いを貼り付けて、どこか落ち着かない様子のはやてはあたりを見回し、特に出入り 口の様子を気にしているようだった。 それも当たり前で書類を本局に届けに来たところだったのだ。職務放棄とされても仕 方がない。けれど、そんなはやてを無視して、なのははぽつりと呟く。 「はやてちゃん…私、もう、だめなのかも」 唇から漏れるため息に、はやてがなのはの肩を軽く叩く。 「大丈夫や、なのはちゃんならなんとかなるて」 ぞんざいなはやての答えを聞いた瞬間、なのはが涙を零した。ほとほとと落ちる雫に、 はやてが我に返ったように、なのはの背中を撫でる。 「ど、どうしたん、なのはちゃん?」 「お部屋のドア、ノックして、名乗ったんだけど」 沈みきった声でなのはは訥々と話し出した。 目の前に置かれたティーカップから湯気と華やかな香りが立っていて、心が落ち着くよ うな気がした。カップを包むように両手を沿え、水面を見つめる。 「逃げてきちゃった」 小さく、はやての吐息が聞こえた。背中を撫でる手は、いまだに優しい。 「名乗れたんやろ、だったら次はもっとお話できるよって。私が保証する」 後押しするようなその声に、なのはは頷く。 「うん。頑張ってみる」 呟くように口に出してみれば、もっと頑張れるような気がした。次に会えた時には、 クロノを休憩に誘おうと、なのはは心に誓う。取り出したハンカチで涙を拭いて、手元 の紅茶に口をつけた。広がる香りは本当に軽く、甘い。 「あ、フェイトちゃんや」 不意にはやてが出入り口の方へ手を振った。咄嗟に振り返ると、フェイトが喫茶店に 入ってきたところだった。手を振るはやてに気づき、フェイトがこちらに向かってくる。 「久しぶり、はやて、なのは」 落ち着いた声音を聞いて、なのははただ頷いた。 フェイトちゃんは、ずるい。 なのはは言いたい言葉を、紅茶とともに飲み込んだ。友達だからこそ、フェイトのこ とは良く分かっているけれど、彼女のようにクロノと話をして、笑い合いたい。それが できるフェイトになりたかった。