第8話



 彼女を好きだと、自覚したのはいつからだっただろう。任務が同じになることは
殆どなく、アースラ配属にもならなかった彼女とは会える機会自体が少なかった。
それに、彼女はユーノのことが好きなのだろうと思っていた。僕よりも先になのは
と出会い、魔法を教え、傍にいたあのフェレットもどきのことが。



 フェレットもどきの隣にいるときのなのはは、楽しそうだ。僕と話す時の態度と
はまるで違って。言葉に詰まり黙ってしまったり、俯いたりと、僕が近づいた時の
彼女の態度はぎこちない。ある意味、普段とは違う彼女を見ることができるが、正
直嫌われているとしか考えられない。
 話しかけられた時に任務で忙しく、返事できないことが多々あったからだろうか。
話しかけようとした時に急な呼び出しばかりあり、まともに話せたことが少ないか
らだろうか。数えてみれば嫌われるとまではいかずとも、そっけなくされるだけの
材料は数限りなくある。嫌われるようなことも、無意識にしてしまっていたのかも
知れない。落ち込みそうにもなったが、諦めていては何も始まらない。行動を起こ
すべきだ。
 そう思っても、言葉にできないのが人間なのだろう。
「クロノ、遊びに来たよ」
ノックもせずにドアを開けて入ってきたフェイトに、任務の情報一覧画面から視線
を上げずに小言を言う。
「ノックをしろといつも言っているだろう、フェイト。それにアースラは職場だ。
遊びに来たなどというべきじゃない」
 しかし、勝手知ったるなんとやら。執務官室を好きに利用しようと、応接用のソ
ファーに向かう気配を感じた。
「フェイト」
「なのははこっちに座って」
続けようとした小言を飲み込んで視線を上げると、ドアに隠れるようにしてなのは
が立っていた。戸惑いの色を露に、部屋の中を覗き込む彼女はまるで小動物のよう
だ。僕の方へ時折視線を向けるのに気づいて、ため息をついた。
「仕方ない、休憩とするか。なのは、君もどうだ?」
椅子から立ち上がりソファーへと向かいながら、なのはにも声をかける。仕事の邪
魔になると考えているなら、彼女は部屋に入って来られない。ならばと誘ったのだ
が、嫌がられるのではないだろうか。せめて休憩を一緒にとることくらい頷いてほ
しい。頷いてくれるだろうか。不安に駆られつつも答えを待っていると、なのはが
俯きがちに頷いた。
「えと、じゃあ」
細い声で答えて、なのはが恐々とソファーへ向かう。フェイトの隣に彼女が座った
のを見届け安堵して、なのはの対面に腰を下ろした。
「コーヒーを淹れるよ、なのはも飲むよね」
立ち上がったフェイトを追いかけようと、座った直後だというのに腰をあげるなの
はに、フェイトが真っ直ぐコーヒードリッパーに目を向けたまま声をかける。
「なのはは座ってて。お湯入ってないみたいだから、お水いれてくる」
颯爽とドアへ向かうフェイトを追いかけるかやめるか逡巡して、結局ソファーに座
り直すなのはを見つめながら頷いた。
「すまないな」
大丈夫だよと答えて、湯沸し機能付のポットを手にフェイトは部屋から出て行く。
なのはと二人だけになった部屋には、沈黙が訪れた。フェイトがいなくなって居辛
いのだろう。不安げに視線を迷わせ固く両手を握りあわせる彼女に、何か声をかけ
たかった。折角、久々に会えた機会なのだし、フェイトも今はいない。この期を逃
したら確実に後悔するだろう。しかし、何を言えばいいのだろう。任務の話だと無
粋だし、学校の話はフェイトから聞いているだろうと切り返されたなら、それで終
わってしまう。
 僕が声をかけたのでは余計に不安にさせてしまうだろうか。簡単に話しかける言
葉にさえも悩んでいるようではきっと、告白なぞできるはずもない。
 不意に思った。例えば告白するとして、なんて彼女に言えばいいのだろうか。そ
んな機会などないかもしれない。それでも、想像してしまう。彼女はなんて言えば、
僕に微笑んでくれるだろう。
フェイトやはやて、フェレットもどきと話すときのような穏やかな笑顔で。
 告白の言葉は、そう。
「なのは、君が好きだ」
いや、これではだめだ。ただ気持ちだけを伝えても、なのはを困惑させてしまうだ
ろう。彼女は、フェレットもどきが好きで僕が苦手なのだから。
 不意に起きた物音に、驚いて我に返った。なのはが立ち上がろうとして、机に足
をぶつけたようだ。運動神経の切れたと評される彼女らしい行動。小さな悲鳴の後、
ひざを抱えて蹲っていた。
「大丈夫か、なのは?」
ソファーから立ち上がり、なのはの傍に近寄ろうとすると、彼女はソファーの反対
へ逃げる。そうか、そこまで嫌われているのか、僕は。自嘲的に笑っていると、な
のはがこちらを見て声をあげた。
「あ、あの、その」
何故か赤い顔をしたなのはが両手を頬に当て、見上げてくる。それから視線を床に
向け、頷いた。
「…私」
彼女が言おうとしていることが、理解できなかった。僕との会話はなのはに緊張を
強いるのだろう。声がうわずっている。
 しかし、何なのだろう。僕を嫌いだと告げられるのだろうか。もしそうなら、立
ち直れる自信などない。
「私も、クロノ君が、好きです」
消え入りそうな声で言われた言葉に、頭が真っ白になった。直後、熱が出たのでは
と思えるほど、顔が熱かった。早鐘のごとく脈打つ心臓が口から出てしまいそうだ。
 彼女は私も、と言った。耳を疑ってみても詮無いことだが、彼女の発言は僕がな
のはに告白したということだろう。

では、いつ。

もしや。

…考えていた言葉が洩れていた?考えついた事実に愕然とさせられた。いや、違う。
もうちょっと、気の利いた台詞を彼女に言うべきだったのではないのか。こんな告
白の仕方では男として情けなさ過ぎるんじゃないのか、クロノ・ハラオウン。
 というか、そういう問題じゃない。彼女に何て答えればいいんだ。君はユーノが
好きなのかと思っていたと言えばいいのか。ちょっと待て、それは彼女の言葉を否
定している。
 ぐるぐると巡る思考の中に、なのはの声が落ちてきた。
「・・・えへへ。凄く、嬉しい」
花が綻ぶような笑顔を見た瞬間に、気持ちが落ち着くのを感じる。僕が欲しかった
笑顔は、これだったのだろう。
 なのはの隣に腰を下ろす。彼女の近くで、彼女と話をしたかった。
「僕もだ。これからよろしく頼む、なのは」
余りにもすんなりと出てきた言葉に驚きながらも、彼女の瞳を見つめる。黒い瞳に
は、僕の姿が映っていた。
「えと、不束者ですが、よろしくお願いします」
揺れる彼女のツインテールを見ながら、頬が緩むのを感じる。彼女の笑顔が僕に向
けられるなら、僕はその笑顔を守ろうと思った。しばらく二人で笑いあってから、
なのはの言い出したお願いに頷く。今までが嘘のように話題をいくつも変えて話を
した。給湯室から戻ってきたフェイトは、談笑する僕らの姿に驚いていたが。



 彼女のことを、なのはと付き合い始めた時のことを思い出して、空を見上げた。
星が仄かに地上を照らしている。彼女と一緒にいたならば、もっと違う心持で見上
げていたことだろう。
 微かに水滴が落ちる音が、耳に届く。水音は静けさを壊さず、調和していた。
 ふと、どこか違和感があった。音が聞こえること自体は、別におかしくはない。
では何が違和感を感じさせるのか。
考えを巡らせることしばし。思い至った。足元から水音が聞こえるのは何故か。こ
の研究所は地上3階建てで、設計書では地下は存在しない。S2Uを握る手に力が
こもる。

何かを隠すならば発見されない場所、だ。

地下が存在していて、それを秘匿していることはありえない話ではない。地下に降
りるためには出入り口が必要で、どこかにあるはずだ。月明かりを頼りに、床面だ
った場所を覆う正方形の石板を、叩いて回る。全て同時に壊してしまっても良いの
だが、それでは地下に隠されたものが壊れてしまった時に取り返しがつかない。何
枚目かは分からないが、折れた柱近くの石板を叩いた時に、見つけた。音が反響し
て高く響く。
 石版を持ち上げると、そこには結界と小さなドアが見えた。結界自体は防護結界
で、侵入者を防ぐ類のものではない。侵入者を防ぐ機構は、魔力供給系統を別とし
てやっていたようだが、未だ手元にあったIDカードを認識機構に翳すと、すんなり
と開いた。カードの持ち主は余程この研究に深く関わったものなのだろう。
 簡単に済ませるためにも、フェイトの元に転送してしまいたくはあったのだが、
魔法使用で察知されたくないがために、蹴り倒すようなことになってしまった。あ
の後転送しておいたから、きっとフェイトが応急手当てをしてくれていることだろ
う。怪我もないはずだ。
 気分を取り直し、ドアを見下ろした。一度深く息を吐き、一人がぎりぎり通れる
ほどの入り口から、躊躇わず暗い地下へと飛び降りる。飛行魔法を使用して、着地
のダメージを軽減させた。
 見回せば、近くに室内には大量の研究データらしき書類が棚に仕切りを使って日
付順に並べられている。しかし、かなりの広さがあるらしく、暗闇に慣れない目に
は部屋の奥が見えなかった。地上階を破壊した際のダメージは防護結界によって全
てではないが、防がれていたようで、一歩踏み出せば埃が舞い上がる。
 ただ、部分的に防護結界も破損したようだ。一部分の天井が崩落していた。そこ
から入った水を弾くことは出来なかったらしい。近くの柱のそばに、一定の間隔で
水滴が落ちてきている。上で聞こえた水音はきっとこれだ。
 できるだけ動かず留まっていると目が慣れ、漸く部屋の奥まで見えた。書類だけ
があるのかと思ったが、そうではないらしい。部屋の片隅に厳重な結界があるのを
発見した。物理結界であるそれに、魔力を叩き込んで破壊する。
『Stinger Ray』
結界の壊れる、硝子を割ったような音が反響した。その音を耳にした直後。唐突に
呼吸の仕方を忘れた。
 自分の脈が煩い。心臓の動きが分かり、体の中を血がかけめぐっているのを感じ
る。結界に守られていたそれに近づいて、手を触れさせようとして、躊躇った。

これは、本物なのだろうか。
触れたら、消えてしまわないだろうか。
幻影の可能性は。

けれど、確認しようと、覚悟を決める。深く呼吸をして籠手を外した。素手で触れ
ると暖かい。それは円筒形の、液体で満たされたポッドだった。中にはあま色の髪
がたゆたっている。
 ゆっくりと瞬きをして、額をポッドにつけた。近くに見える、瞳を閉じ無表情に
眠った彼女の顔。瞳を閉じて、なのはを想った。
 ポッドに浮かぶ彼女の顔は、いなくなってしまってからずっと、探し続けていた
なのはのものだった。こんな場所に隠していたのは、実験のコアを失わないためだ
ろうか。たとえこの彼女がクローンだとしても。
 しかし、そう考えると、目の前の彼女が本物である可能性が高い。指揮官が、彼
女は死んだなどと告げたのは、ここを隠すためだろう。コアさえ残れば、例えクロ
ーンがなくなっても実験は続けられる。研究員がいなくなっても、代わりはいる。
だが、高町なのはという少女の、完璧な代わりはいない。
プロジェクトFで作られたクローンであっても、魔力資質を受け継ぐか否かは賭け
だ。だとすれば、なのはのことは何としても守るだろう。
 瞳を開ければ、変わらずなのはの顔があった。ポッドの上に付けられた操作端末
を探し当て、開閉の操作を行う。空気が液体に入る小さな音と共に、上部が開く。
彼女の腕につながる何本もの管をゆっくりと引き抜いた。上着を一枚脱いで、それ
で包むようにして彼女を抱き上げる。彼女の体は暖かかったが、酷く軽い。その軽
さに不安になった。
 彼女は二階にいた少女たちのようになっていないだろうか。
記憶が、意思が、彼女の中には残されているだろうか。
 体の上に載った手の血色は悪い。呼吸をしているかどうかすらも怪しい。けれど、
小さな声すら立てない彼女の手は強く握りしめられていて、生きているんだろうと
思った。その指の隙間に何か光るものが見え、目を凝らしてみれば、細い金属の鎖
が彼女の指に絡まっていた。
「…なのは」
口をついて出たのは彼女の名前で、それ以上何も言えなくなる。言えないのではな
く、何を言っていいのか分からなかった。ただもう一度、彼女の名前を呼んだ。
「なのは」
手を開かせようとしても、開かない。離そうとしない、なのはの意思が嬉しかった。




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