魔力を意識して練り上げながら、数メートル先の人物を睨み付けた。会うのは、 そう。かれこれ、3年振りだった。 出来る限り意識して、低く落ち着いた声を出す。耳の辺りで脈が聞こえるが、そ れはきっと、気のせいだ。 「貴方が、このプロジェクトの実行者でしたか。総指揮官殿」 3年前のあの任務。この施設をテロから守ると言いながらも、空戦魔導師がほと んどいなかったこと、テロ実行犯に突破され、作戦としては他の問題もあっただろ うに総指揮官の辞職という形で決着がついてしまったこと。感じた疑問はいくらで もある。彼にここで会ったことで、全てに納得がいった。 「ええ、その通りです。表面的には退職にはなっていますが今も管理局員として、 仕事をさせていただいていますよ」 薄く笑いを貼り付けた顔で言われ、視線を逸らした。視界に入るのは、彼の足元と 傍らにある培養ポッド。 「この世界は、ミッドチルダよりも魔力に依存した世界です。魔力供給が止まって しまえば、衰退することは火を見るより明らかだ。危機に直面したこの世界の政府 は、時空管理局に依頼を持ちかけ」 「そこで、管理局はプロジェクトF.A.T.Eの活用を思いついた」 目の前の男の言葉を継いで、結果を述べた。研究対象として白羽の矢が立ったのは、 なのはだ。 「彼女は素晴らしい。この世界に発展と、時空管理局に技術進歩の機会を与えてく れた。おかげで、ほぼ完成していたプロジェクトF.A.T.Eの応用方法も見つかりま したしね」 S2Uを握りしめる手に、力がこもる。 「…この、多くのポッドは?」 彼女がどこにいるかをこの総指揮官の饒舌さに任せて聞き出せるだろうか。 「高町元教導官の遺伝情報を操作させていただきました」 不意に背を向けて、総指揮官は歩きだす。我が敵ながらよく出来るものだと関心す る。そういえば、目の前の相手には魔力がないという話を思い出した。どちらにし ろ、抵抗ができないから…ということか。 「コーヒーでもいかがですか。お好きだと聞いていますが」 軽く断りを入れた横で、小さな冷蔵庫から総指揮官は缶コーヒーを取り出した。 ミッドチルダでよく見かけるものだった。 「どういった操作を加えれば魔力値の高い個体が発生し、かつ魔力収集能力の高い 個体ができるか。さらには、どの部位の細胞からならば、クローンが再生しやすい か」 指揮官が、缶コーヒーのプルに指をかけ引く。空気が抜ける音と金属音は小気味良 いが、その動作が厭わしかった。 「彼女のおかげでだいぶ研究が進みました。私のように魔力を持たない人間でも、 魔力供給に携われることが分かりましたしね」 今こんなにも雄弁なのは、機密事項である研究内容を話せる相手がいないからだろ う。 「彼女からこれだけ多くの異なる人形ができた」 けれどそんな話をしにきたのではない。警備員を呼ぶための、時間稼ぎの可能性も ある。彼女のクローンを人形などと言われたくはない。 「ああ、誰も呼んではいないですよ。彼女の話をするのに無粋ですからね」 嘆息した。ただ単に、本当に話をしたいだけのようだった。確かに、そうでなけ ればなんらかの抵抗を見せているはずだろう。ここが明るみに出れば、違法性を問 われると知っていて諦めているのか、僕を捕らえるのは簡単だと思っているのか、 そのどちらかだ。 「それがどうしたと言うんだ」 「彼女はやはり管理外世界の人間なだけあって、魔力を持つクローンを作る方が難 しい。だからこそ、遺伝情報に手を加えたわけですがね、無用のものもそれなりに 出来てしまった」 先ほど見た2文字の立て札に視線を向ける。 「それで、いらないものは廃棄というわけか」 呟いて、自らのその言葉に背筋が冷えた。 プロジェクトF.A.T.Eで生まれたとしても、人間であることには変わりがない。 「ふむ、ご存知ない?」 驚いたような声音を総指揮官があげるのが聞こえ、逸らしていた視線を向けると、 彼は笑っていた。満足げな笑みのようで、寒気がする。 「ここにいる彼女たちに思考能力は一切ありませんよ。作る過程で手を加えてしま いましたから」 反射的に駆け寄り、総指揮官の襟元を掴んだ。視線を逸らしもせず、まっすぐに見 つめてくる双眸が、そこにはあった。 「高町なのは教導官は、既に死にましたよ」 その目が、声が。精神状態が乱れた人間のものなどではなく、到って平静を保った 人間のもので、嫌気が差す。後悔など欠片も見当たらない。総指揮官を殴れば、こ の気持ちは晴れるだろうか。 「ですが、彼女は生き続けます。魔力供給のコアセルとして…クローン体がね」 なのはをこんな下らないことのために。殴るなどではまるで足りない。僕自身が、 目の前にいる人間を殺してやりたい。しかし、それでは管理局の悪を全てさらけ出 すことはできない。転移魔法の準備をしながら、通信を行う。 『クロノ、いきなりだね。どうしたの?』 宙に浮いた義妹の怪訝な顔に、告げる。 「これから、犯罪者を検挙する。そちらに転送するから、確保しておいてくれ」 『え、どういう』 フェイトの問いかけを最後まで聞かず、通信を切った。バインドをかけ、自らの魔 力光で描かれた魔法陣を見ながら宣言する。 「そういうわけです。暴れても、彼女は僕よりも魔導師ランクが上ですし無駄です よ」 言い切ると同時に、転送魔法を行使した。 笑ったままの指揮官の姿が消えると、部屋の中には沈黙だけが残る。 机の上に散乱した書類をいくらか手に取り、目を通した。頭に入ってこないと分 かっていながらも、幾ページも指先でめくる。机に腰掛け、しばらく読みふけった。 あの時から、彼女がさらわれてから今まで、何があったのか。今、何が行われて いるのか。資料には事細かに書いてあった。 どれだけ時間が経っただろうか。手にした資料のいくらかを、フェイトに向けて 転送する。 「なのは」 不意に彼女の名をささやいた直後、静寂が支配する空間を割れ落ちる硝子と、支 えを失って溢れだす水とが切り裂いた。怒りに任せて見知らぬ少女の入っていたポ ットに叩きつけた右手からは、水滴が滴り落ちる。足元に零れた水が床を覆い、足 元までをも這う。散る硝子の破片が、バリアジャケットに当たったことさえ、気に ならなかった。ポットからなのはに良く似た少女が、崩れ落ちる。 だからどうしたというのだ。この少女はなのはに似ているが、なのはではない。 読んだ資料から知ったが、そう。なのはではないどころか、表情も記憶も、自我さ えも持ち合わせてはいない。 抵抗などしないように。ポットから逃げ出さないように。 脳までもを操作され、ただただ魔力を生産するためだけに作られた機械のごとき 細胞だ。フェイトは自ら考えを持ち、多くを感じることができる。生まれ方が少し 変わっているだけの人間だが、このポットに封印された少女たちは違う。ポットの 中でしか、生きていられない。これでは、何のための命なのか。 肺の中にある空気をすべて吐き出し、新しいものと入れ替える。頭を切り替え、 魔力を高め、魔法構成を練り上げることに集中した。何度となく練習をして、覚え た構成。 「はっ!」 小さな掛け声と共に魔力光弾が現れる。手始めに、一番近くにある培養ポッドに叩 き込んだ。ポッドを割るように、操作しながら思った。こんな研究など、意味がな い。永久に誰かを犠牲にし続けなくては存在できない世界など、いらない。滅んで しまえばいい。これが刹那的な衝動だということは、百も承知している。辺りを見 渡し、全ての培養ポッドが割れたのを確認して、破壊するための魔力を込めた手を 床に叩きつけた。 天を見上げれば、星が瞬いていた。吹き抜ける風に夜霧は飛ばされ、雲は見る見る 流されていく。霧で見えなかった衛星が、今や地上を照らしていた。工業区域であ ったせいか辺りにはほとんど人気は無い。警備員や研究員はフェイトの元に転送後 だ。 見回せば、生活の灯の絶えた街が視界に入る。そのせいか、星が酷く近くに見え た。時折、瓦礫から乾いた音を立て、バランスを崩した破片が落ちる。 立っている場所は研究所のあった場所ではあるが、今はもう、何もなかった。柱 であったものや壁だったものが転がるのみ。折れ曲がり倒れた建材の上に腰掛け、 小さく呟いた。 「これから、どうやって生きていけばいいんだ」 この世界が滅んだとしても、彼女は、戻らない。