足元には、見覚えのある街並みが広がっていた。吹き抜ける風は皮膚を切り裂く ように冷え切り、髪を巻き上げる。それでも夜霧に紛れたこの街には、無数の生活 の光が灯っていた。 なのはも、この風景を見ているのだろうか。真下にある建物はこの世界のエネル ギー的な中心とも言える場所であり、ここを破壊すれば、この管理世界が衰退する。 それは確実で、破壊は犯罪行為だということも理解している。犯罪者と呼ばれるか もしれない。けれど、大切なものを救うためならば全て引き換えにしてもいいかと 思えた。 人を犠牲にして成り立つ幸せも歴史上あったかもしれないが、今の世で無理やり 人を拉致して犠牲にするなど間違っている。大きく呼気を吐き出し、呼吸を整えた。 「S2U」 指先で持ったカードに呼びかけるとすぐさま、カードは姿を変える。デバイスとし ての形状となったS2Uを手にし、囁くようにキーワードを紡いだ。それは、決意 を込めた開始の言葉でもあった。 数日前、会議が漸く閉会となり、自室へ足を向けた時のことだった。不意に空中 に通信画面が開いた。 「この間頼まれていた資料の件だけど」 こちらの様子を聞くことすらせず、フェレットもどきは話し始める。見たところ現 在も検索魔法を行使中のようで、会話にまわす集中力はあまりないらしい。 「資料を端末に送っておいた。パスワードは今日の日付になってる」 単にそれだけの会話で、通信は途切れた。通信画面もそれと同時に消える。セキュ リティの高いはずの端末に、パスワードをかけて送るということは、機密度の高い 資料であると伺える。 自室へ向かう足が自然と早くなる。資料をすぐにでも確認したかったが、廊下で は人の目がありすぎると判断した。自室へ着くとすぐにドアに施錠し、コーヒーを 淹れるために水と挽いた豆とを機械に放り込み、コーヒーメーカーのスイッチを投 入した。それからやっと椅子に倒れこみ、資料を開く。殆ど間を空けずに文字の書 き込まれた、ユーノからの報告書が展開された。 魔力衰退世界の異常発展、管理局からの研究支援、金銭的支援といった言葉が画 面に踊っている。ミッドチルダにもこういった原因不明の魔力衰退が起こる可能性 はある。そのための事前研究を兼ね、現在既に起こっている衰退世界への協力が行 われているということらしい。添付資料の背景には、薄く大きく「機密文書」と記 載されていた。確かに、機密にでもしなくてはならないような情報だろう。一年間 に送られている支援金が、軽くXV級大型次元航行船1台分に及ぶ。研究支援につい ても、技術だけではなく相互に研究者が交換されていることから、力の入れようが 分かるというものだ。何より、魔道研究が一番進んでいるだろうミッドチルダなら いざ知らず、他の世界にとっては手に入りにくいだろう機材などが多数送られてい るのも気にかかる。そして、研究材料も、だ。送られた金額、機材、関わる研究者、 そして、研究材料が一覧となっていた。 研究材料として、魔力を多量に保有し魔力収集能力・技術の高い魔導師を利用し ようとしていることは知っていた。以前に見つけた資料に記載されていたからだ。 だが、それ以外にも条件があったことを今知った。魔力変換資質など特殊能力・ 技能を持たないこと。年齢が20歳未満であること。家族がいない、もしくは管理外 世界出身であること。この理由についても、明確に記載してあった。特殊能力・技 能を持つ場合には、魔力のみを収集する際に障害となる場合を考えてのことらしい。 年齢については、長く研究材料として使用するためとある。けれど、最後の条件に 関してだけは、酷く腹立たしかった。家族がいない、もしくは管理外世界出身であ ることというのは、ただ単に問題視されないためのようだ。家族がいなければ、捜 索が打ち切られても文句を言うものはいない。いたとしても、押し切るのは簡単だ ろう。もし管理外世界出身であれば、家族に対していくらでも言い訳がきく。 ろくでもないことを考えたものだと、あきれ果てた。フェイトが対象にならなか ったのは家族がおり、魔力変換資質を持つためだろう。はやての場合には、いまや 数少ない古代ベルカ式の使い手で希少なユニゾンデバイスの使い手であり、レアス キル保有者であるためなのだろうと推測できる。なのはは、ちょうどこの条件に当 てはまってしまった。 保有魔力は多く、魔力収集能力・技術が高いことはスターライトブレイカーで実 証済だ。彼女は確かに戦場では非常に能力が高く、あらゆる作戦時に組み込みやす いが、特殊能力・技能はない。重ねて、なのはは管理外世界の出身であり、家族は 全員管理外世界しか知らない。今回なのはの両親が多額の捜索費用を請求されたの は、彼女の両親に捜索を諦めさせるためだろう。義妹も含め彼女の友人たちは、な のはの両親の傍にいて慰めるよりは自ら探しにいくタイプだ。管理局の上層部が来 た時に、誰が捜索費用請求を嘘だと見抜けただろうか。 鼻腔をくすぐる香ばしい匂いに気づき、立ち上がった。そろそろコーヒーが出来 上がる頃だ。少なくとも、落ち着くためにも時間が欲しかった。常備している紙コ ップにコーヒーを注ぎ、座席に戻る。コーヒーを口にすると、舌に熱さと苦味が広 がった。 なのはの淹れてくれたコーヒーは、こんなに苦くなかったように感じるのだが、 彼女のようにコーヒーは淹れられなかった。こんなことですら、彼女を思い出して しまう自分が恨めしい。紙コップを机上に置き、管理局のデータベースへ接続し、 ある建物の建築構造を検索をかけた。迷路の如く複雑な構造と、認証機構の場所ま でが記載してある。地上3階建ての1回部分から探していったのだが、2階はほぼ 空白だった。 巨大な一室があるように見せかけてはいるが、1本の柱もないというのはありえ ない。力学的に考えても、これだけの広さで平らな天井を、側面の壁のみで支える というには無理がある。おそらく、全て内面を見られずに済むよう、設計書から削 除したのだろう。 何かを隠すのなら、2階だろうか。 まず光の弾丸を1度、正門へ放ち警備員の目を向けさせた。散らばっていた警備員 たちが正門へ集まるのが見える。 『Stinger Snipe』 S2Uが耳慣れた声を上げるのを聞きながら、正門前にもう一撃を加えた。スティ ンガースナイプを操作をしながら裏口へと視線を向ければ、そこにはただ一人の警 備員が確認できる。正門と比べ、警備員が少ないのは、おそらく認証機構があるか らだろう。悲鳴の上がる正門前へ向かうべきか否か、悩んでいる様子の警備員の傍 へと降下しながら、呟く。 「スナイプショット」 加速した魔力光弾に惑わされ一段と大きくなる悲鳴に、裏口の警備員が駆け出そう とした瞬間、背後へと降り魔力で筋力を増強させた手刀を、首筋に叩き込んだ。崩 れ落ちた警備員に嘆息して、胸元につけられたIDカードを奪い取る。 これほど簡単に警備員を倒せるとは思っていなかった。全員がこういった手合い ならば、きっと制圧も簡単なはずだ。今頃スティンガースナイプ1つに悪戦苦闘し ていることだろう。 警備員のIDを手にして、そのまま裏口へと一歩を踏み出した。壁につけられたカ ード大の認証機構へIDを近づけると、音も立てずにドアが開く。自動で開閉するド アは、魔法攻撃にも耐えうるよう思いのほか厚いものとなっていた。足を踏み入れ ながら、頭の中にはここに来るまでに叩き込んできた構造図を思い浮かべる。 入り口付近にはロッカールームがあることも確認済みだ。倒れている警備員には申 し訳ないが、引きずってロッカールームへ入る。両腕を傍に落ちていた梱包用粘着 テープで背中で括り、足も止めさせてもらう。しばらくの足止めにはなるだろう。 それからロッカーを一つずつ調べる。取っ手を引くが、開かない。隣も、その隣 も。すべてを調べて、開かないと分かると大きく息をつき、スティンガースナイプ の操作をやめた。そろそろ警備員も疲弊して、頃合だろう。誰かが裏口の警備が一 人消えていることに気づくのは、しばらく後になるはずだ。 静まり返った廊下を慎重に進んでいくと、不意に白衣姿の人間が目に入った。あ くびをしながらこちらへ来るところをみると、これから帰宅予定なのかもしれない。 ロッカールームの中に入り、入り口で待ち構える。認証キーを手にしてしまえば、 後は2階まで進むだけだ。 ドアが開き、入ってきた研究員の前に足を差し出して、転倒させた。 「わっ!?」 そのまま先ほどと同様に首筋に手刀を叩き込む。声も立てずに昏倒した研究員の首 から下げられていたIDカードを取り上げて、手足をテープで括る。警備員のIDは廊 下にでた後、設置されていたゴミ箱に入れた。こうしておけば内側にも認証機構の あったあの部屋からは、気づいたとしても二人は出られないからだ。 2階への階段は、ここから一番離れたところにある。正門近くで、外から入って きた警備員に見つからないかということが気になった。照明の落とされた薄暗い廊 下を、人の気配を気にしながら進む。足音も聞こえてこないからには、現状ではな んともないのだろう。 不意に、背後にあるドアの向こうから声が聞こえた。音量が少しずつ大きくなる ことから、入り口に近づいてきていることが分かった。周りを見渡せば給湯室が目 に入る。仕方なしに走って、給湯室へ入り呼吸を整えた。給湯用の台の上に足をか け、ドアの上側の縁に上りバランスを取る。 通り過ぎていく足音が2つ聞こえた。深呼吸して、降りようとした時にその直ぐ 後、うち1人が引き返してきたようだった。足音が近づき、ドアが開き下を通り過 ぎていく頭が見えた。そして、ドアがしまった直後にその頭を、勢いをつけて蹴り 上げる。くぐもったうめき声とともに倒れるのを確認して、床へ飛び降りた。IDカ ードを取り上げて、ドアの外を確認する意味で耳を当てると、静かなままだった。 認証機構にカードをかざし、ドアを開けて外へ出る。 昏倒した研究員を、見つけた清掃用具の小部屋へ放り込んだ。口元から血が見え たが、調べてみると切っただけのようだ。放っておいても大丈夫だろう。それから しばらく廊下を歩き、目的地である2階へと向かうには少し長めの階段を見つけた。 階段へ入るためにも必要な認証機構へIDを翳して通る。おそらく、2階に重いも のをおいても大丈夫なように、もしくは防音効果のために、床を厚めに作っている のだろう。階段での足音が気になったが、おそらく見つからないだろう。見つかっ たとしても、警備員ではないだろうから、なんとかなるはずだ。 上りきったところには、小さな空間と大きめのドアがあった。ドアの傍には入り 口付近と同様の小さな認証用機構がある。奪った2枚のIDのうち、ロッカールーム で手に入れたものを近づけるとはじかれた。ドアが開かないだけで済んで良かった。 どうやら、あの研究員は重要度の高い研究にかかわっていなかったようだ。2枚目 のIDを認証に近づけると、不意にドアが開いた。 見ると、さらにその奥にもう一枚のドアがあった。手前側から、奥を見られない ようにするための措置だろうか。心なしか雰囲気が、空気が、変わったような気が した。 IDカードを翳し、ドアを開く。開いたドアの先には、整理整頓されたが如くに培 養ポッドが並んでいるのが視界に入った。数十から百に上るだろうポッドが整列さ れた様子は壮観ではあったが、気味の良いものではない。天井に吊るされ一列ずつ 並べられたポッドの中には、少女たちの姿があった。この部屋で行われていること がなんだかは知っている。 プロジェクトF。 少女たちはどこか似通っているものの、彼女とは同じではない。髪の色や肌の色、 顔の造作など違うところが目立つ少女もいる。何かしらの実験を、元の個体の遺伝 情報に加えたのだろう。ポッドのいくつかが自動的に移動させられ、部屋の片隅へ 向かう。部屋の隅には、転移魔法によってどこかへ移動させられていくポッドの姿 があった。 そこが何であるか、それが何であるかを分かりやすくするのは、研究施設では大 切なことではある。けれど、あまり見たいとは思えなかった。部屋の隅に書かれた、 二文字の立て札に酷く腹が立った。 ポッドの間を潜り抜けて部屋の奥へ行くと、机と研究データと思われる大量の書 類を入れた棚があった。近づき、机の上に置かれた紙の束を持ち上げめくる。クロ ーンのデータが、手元の資料には事細かに記載されていた。 魔力値とランク、魔力収集能力や特殊能力の有無。素体のどの部分の細胞を元に 利用したか。それ以外のデータは何もなかった。必要としないデータについては、 何もとっていないのだろう。魔力値がゼロないし小さい個体は、大きな文字の印鑑 が押されていた。印鑑が押されていないデータは少ない。書類を握りつぶす。 「来てしまいましたか」 背後からかけられた声に、咄嗟に振り返る。デバイスを構え、握りつぶした書類は 投げ捨てた。 「お久しぶりですね、クロノ提督」