薄暗い会議室の中、手元に浮かぶ資料の画面を眺めていた。 「―――の経費の削減については…」 交わされる会話の内容にも興味を持てない。階級が上がってからはつまらない会議 ばかりだ。 「しかし、これは管理局にとっては…」 彼女がいなくなってからは、任務漬けの日々を送った。手の空いた時間や任務終了 後、休日はすべてなのはを捜すために使っている。目の前で彼女が誘拐されてから、 既に3年が過ぎていた。 なのはは、管理局を退職という扱いにされてしまっている。捜索中止命令の後、 しばらくしてから彼女の実家、翠屋へ立ち寄る機会があった。彼女の両親との会話 が未だに忘れられない。あの時、酷く悲しげになのはの母、桃子は目を伏せていた。 『捜査をね、続けてもらいたいって気持ちはあるわ。それでも、1日捜索するとこ ちらの金額で1千万円かかると告げられては難しいの。他のお仕事を止めさせるこ とにもなってしまうと言われたし』 足元を救われたような気がした。局員が業務時間中および任務中に何か事件に巻き 込まれた場合には、その費用はほぼ全額近くを管理局が負うことになっている。局 の上層部が、なのはの両親たちが管理外世界にいて、知らないのを良い事にそう連 絡させたのだろう。 けれど、そんなことを言うためには理由が必要だった。言い分から見ても、なの はを捜させたくないということが明白だ。 では、それは何故なのか。 その理由を見つけるために、管理局の上層部を目指そうと思った。地位が高くな ればなるほどに、閲覧できる情報の権限は大きくなる。なのはの誘拐にもしも管理 局が関わっているなら、情報から捜していけば、何かしらの手がかりが見つかるは ずだった。 「――会議を終わります」 終了の挨拶で現実に引き戻され、散り散りに出て行く出席者たちを見ながら僕も立 ち上がり、会議室を出て本局内に与えられた自室へ向かう。人の姿はあまりなく、 廊下には足音が反響するかのごとく響き渡っていた。 ため息が尽きないなと反省しながらも、自室へとたどり着く。これからまた彼女 を捜すための資料探しをしようとしていたのだが、部屋には人の気配があった。扉 を開けてみると、香ばしい匂いが鼻を掠める。 「や、お邪魔してるよー」 気軽な挨拶をしてくる相手には目もくれず、席に着いた。久々に会う相手ではある。 部屋の中央のソファーでくつろぎ、我が物顔でコーヒーを啜るエイミィ・リミエ ッタは、2年前まで僕の補佐官をしていた。現在も執務官補佐である彼女とは、提 督となった今では会うこともほぼない。エイミィは今、僕ではなく別の執務官の補 佐をしている。 「元気してるぅ?」 机に置かれたコーヒーの入ったカップを手に取り、頷いた。 「まぁまぁだな。で、何をしにきたんだ? 油を売りにきたわけじゃないだろう」 笑って頭を掻いているところを見ると、そのまさかのようだ。放っておくことにし て、資料検索画面を空中に映す。席を立ち、画面を覗き込もうとするエイミィの動 きを目の端にして、画面を閉じた。コーヒーを口にすると、渋みと香りが広がる。 「覗かれては情報漏えいになるんだがな」 突き放すように告げると同時、エイミィが背中に抱きついてきた。首に回される腕 が視界に入る。 「なっ」 振りほどこうとするが、抱きしめるように首に腕を巻きつけられた。 「まだ、なのはちゃんのこと、捜してるんだね」 泣きそうな声だなと思えた。さすがに数年間片腕だっただけに、色々と分かるよう になっているのだろう。 「捜してるが、それがどうかしたのか」 見られても問題ないと判断して、先ほどまでの会議の資料を広げる。こちらはどう せ数日後には公表されるものなのだから。 けれど、エイミィからの返事はない。首に巻きついた腕を外すために、手を伸ば す。耳元でエイミィの喉が鳴るのが聞こえた。 「もう、諦めなよ…」 子供をあやすような、そんな声だった。 「クロノ君だって幸せになる権利はあるんだよ」 そんなことは言われたくない。 幸せになる権利? 「私が、慰めてあげる」 誰が、誰を慰めるというのだ。笑いが自分の口から漏れるのが聞こえた。自嘲的な 笑いであると分かっていても、止められなかった。 「僕の幸せは、なのはと共にいることだ。誰も代わりになんてできない」 断言して、そして、なのはを想う。3年前の僕は、彼女をとても好きだった。彼女 の笑顔を見るだけで、幸せだった。 「まだ、なのはちゃんのこと、好きなの?」 エイミィの問いかけに、頭を振った。 今の僕は違う。 彼女のことは好きではない。 「好きじゃない。僕は、なのはを愛している。彼女が生きていてくれるならばきっ と、それだけで幸せになれる。だからこそ、僕は彼女を捜しているんだ」 エイミィの腕から力が抜けて緩んでいることに気づく。抱きついてくる腕を外させ て、手元にある資料に目を落とした。僕はとても楽観視しているのかもしれないし、 あるいは後ろ向きな考え方をしているのかも知れない。 彼女が傍にいないことが、胸に空洞が開いたようだなどとそれまで感じたことはな かったが、なのはが誘拐されてから日を追う毎に感じる喪失感は強くなるばかりだ。 それでも、なのはが生きていてくれるかも知れないと考えるだけで、何事にもやる 気が出た。思い出せるなのはの全てが、何より大切で。彼女のためならば、何でも しようと思えた。証拠もないのに、彼女が死んだなどと思いたくなかった。まるで 死人を想うなとばかりのエイミィの言葉が、酷く腹立たしかった。 「業務中だ、真面目に仕事しろ」 振り返り、肩越しに怒りを抑えながらも冷淡な声で言い放つと資料へと向き直る。 「そう、だよね。ごめん」 騒々しい足音を立て部屋を出て行くエイミィに嘆息して、資料の検索画面を広げた。 書類番号が若い順から一件ずつ、この地位についてから暇を作っては読んでいた。 番号0000C27、『魔力減退世界における魔力補填計画』と銘打たれた書類に目を通す。 『管理世界内にて、魔力炉にて生活を維持する世界が存在しており、その中で魔力 炉による魔力収集量の減少が起きている。現在、原因調査開始より10年経過してい るが、未だ原因は不明であり、』 こんな出だしで始まっている研究論文のような内容だった。 確かにそんな話は聞いたことがあったが、そういった世界で魔力炉に変わる代替案 としてあげられたもの、それが問題だ。書類を読み進めていくと同時に、暖かいは ずの部屋が肌寒く感じられた。魔力値の高いものを考えていくと、それはまず生命 体だろう。中でもより高いものを単純に見つけるだけならば、そう、人間が一番簡 単なのだろう。なにせ、管理局のように個人データを取っている場合も多いのだか ら。 魔力を多量に保有し、魔力収集能力・技術の高い魔導師を魔力炉のコアとするこ とを、その書類では代替案として挙げていた。世界基盤を支えるための魔力の補填 および収集能力の補助が目的であることも明記されている。そして更には、ある技 術の利用までも記載されていた。 プロジェクト『F.A.T.E』と呼ばれる、人造生命技術。技術を応用してのより魔力 の高い個体の製造を生み出すことが、容易だと考えたのだろう。この情報がもしも 紙面であったなら握りつぶしていたに違いない。なのはの誘拐と、この研究の間に 関わりがないことを信じたかった。祈るという気持ちは、こうして生まれるものな のだろう。 通信を開始して、嘆息した。あいつと通信をするのは久々のことだ。任務で話す 必要ができた時以外に、話すことは全くなくなっていた。なのは自身気づいていな かっただろうが、フェレットもどきが慕う相手は彼女だということは明白だったか らだ。そして、なのはは僕の彼女で。僕が不意をつかれて彼女を失って以来、フェ レットもどきとの仲は完全にビジネスライクだ。 フェレットもどきは、僕があいつの気持ちに気づいていたことを知っていたのだ ろうか。知っていると思っているのだろう。だからこそ、何か壁のようなものがで きて、ビジネスライクになったと考えた方が納得がいく。お互いにとって必要では あるが、だからといって関わりたくない。そんな相手に変化してしまったのは、仕 方のないことなのだろう。 何せ僕は、彼女を救えなかったのだから。 「突然だがな」 手元の極秘資料に目を通したまま傍らに浮いた画面へ、淡々と用件を告げる。ユー ノもこちらを向かず、検索魔法を使用したままのようだ。 「彼女を探す手がかりになりそうな情報を見つけた。それに関して探して貰いたい 資料がある」 視界の端でユーノがこちらを振り返ったのが見えたが、それは無視した。こと彼女 に関係した話ならば、関心を抱きもするということか。無限図書館司書長になった フェレットもどきに探させるのが、最短経路だと確信している。フェレットもどき のくせに、局内・局外全ての情報に触れる可能性が一番高い人間だからだ。 「魔力を中枢管理している世界で、魔力減退が10年ほど前から始まっている世界を 探してもらいたい。管理世界であることは間違いないだろう」 傍らにおいてある紙コップから、コーヒーを一口嚥下する。まるで色のついた苦い だけの水のような味だった。そう、なのはを想うユーノならば、必死で探すはずだ。 打算で頼んでいるだろうと、フェレットもどきは気づくかもしれない。だが、どう 思ったところで、結局は探すだろうから同じなのだが。 「分かった」 明確で端的な答えと共に、通信を切った。おそらく数日中には、情報が出揃うだろ う。 ずっと、彼女がいなくなってしまってからあった、何かが欠けたような気持ちは、 なのはが見つかれば埋まるのだろうか。彼女がいなくなって、時が経ってしまった が、なのはが隣にいてくれることを、それだけを望んでしまうことは、高望みなの だろうか。 椅子の背もたれに深く寄りかかり、天井のライトを見上げる。 「なのは」 小さく声に出して名前を呼んだ。自分しか居ないこの部屋に、答えてくれる相手は いなかった。