作戦報告を行うために戻った本局の廊下は、人通りの多さに見合わず酷く静まり 返っていた。大人数での任務だったというのに、聞こえてくるのはほぼ足音のみ。 どんな条件であっても、敗北を喫するのは精神的に痛手だということだろう。負傷 者が大半という現場だったのだ、今頃、医務室が喧騒に包まれているのが想像に難 くない。 任務終了の報告のために、部隊長たちが集められる会議室に向かう。急がなくて はならないと分かっていても、酷く足が重たかった。会議室まではこんな長い距離 だっただろうか、と疑問が沸くくらいだ。ようやくたどり着いた会議室の扉を開く と、そこには既に5人の人物がいた。 「空いている席についてくれ」 作戦指揮官に言われ、無言で席に着く。 「全員揃ったところで、今回の任務についての反省会および今後への対応会議を行 いたいと思う」 着いた途端言われて、目を閉じて嘆息した。今回の敗因と言われれば、少なからず 分かっている。不利な立地条件、人材不足、敵の誘導に乗ってしまったことなど数 え切れないだろう。側壁に開けられた穴の前で篭城戦をするなど、ああいった場で はもってのほかだ。第一、それ以外の部分をどうやって守るつもりなのか、具体的 に聞いてみたいところではある。地上にある建築物を守るという理由だけで、陸士 部隊が中心だったのが第一の失策だろう。 なのはの部隊もいたが、あれでは空戦要員人数が少なすぎる。最後に貯水槽を破 壊された瞬間の人員配置図を見せられて気づく。彼女の部隊の数人は、僕とは違う 方向への遊撃を行っていた。自分一人だけだと思っていたが、認識を間違えていた のだと知った。負傷者の救助、防衛を行う者が多いのも彼女の部隊らしさが、出て いる。 なのはが教導をしていた部隊なだけはある。もし、彼女がいてくれれば、戦局は 変わっていただろうか。 桜台を抜ける風は、肌を撫でる程度のものだった。草が心持ち揺れるが、日差しが 降りそそぎ暖かい。 「クロノ君に、なにかお礼がしたいなぁ」 草むらで落ち着いて、なんのことはない話をするのがいつもなのだが、不意になの はがつぶやくのが聞こえた。視線を彼女に向けると、ためつすがめつ首元を手鏡で 映し見て、あまりに夢中な様子につい頬が緩む。 「お礼を貰うほどのことじゃない」 なのはが振り返り、じっと目を見つめられた。彼女は面と向かって話す時、真っ直 ぐ目を見て話す。話を聞く時もそうだ。その視線が、話を聞く彼女の姿勢を物語っ ていて、気持ちよかった。 「でも、何かしたいなって思ったの」 断られたと思ったらしく頬を膨らませて抗議をする彼女からは、仕事中の姿など想 像もできない。ずれている帽子に気付かずにいる様など特にだ。腕を伸ばして、少 し傾いた日よけの帽子を直してやる。 「あ、ありがとう」 膨れていたのは幻かと思うほど、直ぐに返された微笑みから視線を逸らす。なぜか、 彼女の微笑みが恥かしかった。 「クロノ君?」 不思議に思ったのだろう、名前を呼ばれて、再度彼女を見る。訝しげな顔のなのは に告げる。 「なのはの顔に塵がついてるのが見えて笑いそうに」 当然嘘なのだが、なのはは財布しか入らないような大きさの鞄から、ハンカチを取 り出して一生懸命に顔を拭き始めた。鏡で見れば即座に嘘だと分かっただろうに。 取れたかと何度も確認してくるなのはは、なぜか手にあった鏡を置いてしまってい た。おそらく、鏡の用途を咄嗟に忘れてしまったのだろう。慌てているのだろうな と理解しつつ、それでも笑いはこみ上げてくる。口を押さえて笑いをこらえていた のだが、限界を感じて観念した。 「すまんっ、塵なんかついてない」 笑い出してしまってから、なのはに言うと彼女の機嫌が傾いた。視線を逸らして、 こちらを見ようともしないのがその良い証拠だ。 「クロノ君のいじわる」 先ほどの比ではなくむくれた彼女に、一言投げかける。 「鏡で見るかと思ったんだ」 即座に振り向いて、衝撃を受けたような顔を見せる普段の彼女は、少し抜けている。 任務中とは違う、彼女のそんな一面をここに来るとよく垣間見る。 「だから笑ってたの?」 問いかけを肯定すると、肩を軽く叩かれた。 「いじわる」 そしていつものようになのはは、笑っていた。 「ハラオウン執務官はいかがでしょうか」 唐突に話を投げかけられ、先ほどの任務時の映像に目を向けた。正直なところ、話 など聞いていなかった。考えていたのは彼女のことばかりだ。先日アクセサリをあ げたときのなのはの様子は。 今彼女はどこに。 これから、どうやってなのはを探そう。 数秒間の沈黙を破るため、視線を作戦指揮官に向ける。 「今回の敗因には、人材不足、陸士部隊の経験不足、そして任務地の情報不足があ るかと思われます。今後同様の事件が発生した場合には、空戦魔導師の導入と情 報共有の徹底を行うことが必要です。また、陸士部隊を主体に構成する場合でも、 空戦魔導師を半数とは言いませんが、多めに起用すべきではないかと考えます。」 言い切るだけ言って、作戦中の画面に再び視線を落とした。こんな後ろ向きな会議 など早く終わって欲しい。今起きている事件に目を向けたかった。なのはを攫った 転送魔法が、個人でのものならば中継地点からさほど遠くない世界にいるはずなの だ。時間が経てば経つほどにその間移動できる距離は伸びる。もうだいぶ時間は経 ってしまっているのだが。 「では、この辺で会議を」 閉会しようとする声が聞こえたと同時に立ち上がった。唖然とした作戦指揮官の顔 が目新しい。今までに、上官に対してこんな顔をさせたことがあっただろうか。 「それでは失礼します」 敬礼をして、そのまま会議室を出る。走らない程度の歩き方で転送室へと向かった。 リンディに連絡をいれて、通信が繋がるのを待つ。一刻も早く、現状把握をしたか った。 どこまでの範囲を捜していて、これからまだ行っていない部分はどこか。中継地点 のような場所ならば転送先を記録している可能性も考慮しなくては。一番良いのが、 既に彼女が発見されていて無事でいることだ。足をせわしく動かしていたが、歩か なくてはならないことが鬱陶しくなった。怒られようが規則だろうがなんだ、それ がどうした。思い切って、転送室へと駆け込む。会議の時間は全て休憩に当ててい た。気づかれないようフィジカルヒールも使用した。これから彼女を捜索するため の体力は回復させてある。 「クロノ、任務は終わったの?」 空間に浮いた画面が呼び出し画面から切り替わり、リンディの姿が映し出された。 任務前に連絡したときとは打って変わって、引き締まった顔をしている。 「ええ、今やっと終わったところです」 転送室の機材を操作して、先ほどの中継地点への転送の準備を行う。個人転送で行 けない距離ではないが、魔力を温存できるならばしておいた方が良いからだ。 「なのはは?」 短い問いかけに、リンディが頭を振った。 「捜索状況はどうなっているんですか?」 希望が潰えたことを知って、思わずため息が出る。 「現状を一覧にして送るわ。問題の中継地点から行ける世界は割合と多いの。 中継地点を利用した転送の履歴も捜してはいるのだけれど、個人転送だったみた いで履歴が残っていないのよ」 それでも、リンディの悄然とした姿に、捜索を指揮していてくれたことを感謝した。 「中継地点に着き次第、また連絡します」 「分かったわ、ではその時にまた」 一度通信を切って、転送を実行。瞬きをすればそこは、忘れもしない、なのはを見 失った中継地点だった。視線の先に、日の落ちゆく地平が見えた。地平線の上に紫 から藍、漆黒へと色を積み重ねていく様は、絵画のようだ。時間経過を、あの焼け るような暑さを感じない空気からはっきりと肌で感じる。吹き付ける砂を孕んだ風 が、顔に当たった。出遅れた感はどうにも否めない。通信を再開し、今後の作戦を 練ろうと思いながらも自分の非力さを呪わずにはいられなかった。