1 唐突な告白だった。 なのははクロノから視線を逸らしたまま、目に涙を浮かべている。 「クロノ君、別れよう」 咄嗟に言葉が出ず、クロノはそのまま硬直した。 頭の中で、何度も何度も彼女の言葉を咀嚼して、漸く言葉を嚥下する。 それにはたっぷり数十秒が必要だった。 「僕が」 こんな問いかけではいけないのだろうか。 けれど、他に言葉が出なかった。 「僕が何かしたか…」 なのはをじっと見つめていると、彼女は戸惑ったような視線をクロノに向けた。 「なのは」 急かすわけではないが、理由を聞きたかった。 「だって」 震えるなのはの声など初めて聞いた。 それだけ、言いづらいことなのだろうか。 「だって、クロノ君、将来ハゲるかも知れないじゃない!」 気分的な問題だろうか。 つい手を髪に伸ばしてしまい、鏡を探す。 これは、狼狽しているんだ。 水分を補給しなくてはと思い、先ほどなのはが用意していたなと緑茶にいつも見る通りに色々入れ、口にする。 その緑茶は何の味もしなかった。 「そうか、…ハゲる…」 口から出た声は、誰のものだったのだろうか。 呆然と扉を見ていた視線の中に、なのはの顔が映った。 なぜか彼女は微笑んでいる。 「なーんちゃって。今日はエイプリルフールだから。4月1日は嘘をついてもいいんだよ」 してやったりとなのはは笑っていた。 右手で湯呑みを握りしめる。 湯呑みが悲鳴をあげているのはきっと気のせいだ。 「なんで」 「大丈夫!クロノ君のお父さんもお爺さんも写真でみてるけど、ハゲてなかったもん! クロノ君もハゲないよ!」 騙されてくれたと無邪気になのはは喜ぶが、騙されない男がいるならば見てみたいと思った。 一心地ついて飲んだ緑茶は、砂糖の甘さとミルクの舌触り、後に残る緑茶の渋みの不調和が酷く不快だった。 「その緑茶の飲み方、リンディさんと一緒だね」 眉間にシワを寄せ緑茶を見るなのはに、ただ一言告げる。 「もう二度とこんな飲み方はしない」 なぜこんなものの味を感じなかったのか、今更ながら不可解だった。 2 なのはにじっと見つめられたかと思うと、彼女は突如切り出した。 「クロノ君、別れよう」 この言葉は二度目だ。 さすがに、慎重になる。 今はもう4月1日ではない。 騙された後に、彼女の世界のエイプリルフールという習慣は調べた。 4月1日の午前中のみ、どんな嘘をついても許されると言う話だった。 「なのは、どうした。エイプリルフールはもう終わったぞ。 それに僕も先祖の写真を見たが、ハゲた人間はいなかったが」 けれど、悲嘆にくれた瞳を逸らし、なのはは言った。 「今回は、本当にお別れなの!」 その瞳に、その言葉に、必死に頭を働かせる。 本当にって、どういうことだ。 前回のような嘘ではないということなのは、分かる。 だがしかし、それだけでは納得がいかない。 言うだけ言って、踵を返し逃げようとするなのはの手を掴まえた。 必死に手を振りほどこうとする彼女の目を見つめて、問いかける。 「どういうことなんだ、なのは。教えてくれないと分からない」 躊躇い、頭を振る彼女を見ているのが辛かった。 自分が悲しませている。 彼女に対して、僕が出来ることが本当に別れることだけならば、それも致し方ないのでは。 そんな考えが浮かんできてしまう自分が嫌だった。 「なのは」 彼女の手を握る手に、多少力を込めて振り向かせた。 涙に濡れる瞳が、こちらを向く。 彼女に浮かぶ表情は、笑顔の方が似合うとも思った。 ふとなのはの震える唇が開き、思い切ったように告げる。 「うちの家族、みんなハゲなんだもん! ハゲたクロノ君みたいな子供、見たくないよ!」 3 クロノは思わずため息をついた。 「心配するな、なのは」 捕まえたままの彼女の手を握る手に力が籠もる。 こんなことで彼女を失いたくなかった。 驚きに彩られた彼女の瞳は先ほどまでの涙に濡れ、光を反射して輝いて見えた。 彼女を不安にする全ての事は、自分が解決しようと決心した。 「どうして?」 首を傾げるなのはに、クロノは頷いてみせる。 彼女の頬に指を添えて、涙を拭き取ってやりながら。 「僕は偉くなる」 彼女に伝えることは即ち、彼女との約束。 なのはとの約束ならば、自分には破ることができないだろうと自覚して。 彼女の手を握り直し、指と指を絡ませる。 少しでも不安から守れるように。 「そして、僕がこの世からハゲを無くす! だから結婚しよう!」